なにかを始めるということ。
つい先日、私は25歳になった。
人生100年時代といわれる現代でその節目にどんな価値があるのか。
幼い頃から勉強が苦手で、主要5科目なんぞより美術と体育に全注力を注いでいた。
授業中にはひたすらノートに落書きをして教師陣に横目でみられては、特に触れられることもなく過ごす日々。
教師陣に見放されていたというよりは、普段のキャラクターと中の中あたりの成績をキープしていたおかげだったように感じる。
勉強より運動。小説より漫画。
そんな価値観で健やかに育ってきた私だがつい最近、あるエッセイ本を読む機会があった。
詳細には触れないが、なかなかの衝撃。
文書ってこんなに面白いものだったけ?
ページを跨ぐごとに文字を追う目を止められず、その人の言葉が脳内で勝手に鮮明な映像になる。
うーん、すごい。
本を普段から読むタイプの人にはなにをそんな当たり前のことを。と言われるだろうか。
だが私は今まで本を読んで、文章を自分の解釈で噛み砕き脳内で映像にして再生することが面倒だと感じていて、その行為に行き着く前に読むのをやめてしまう事が多かった。
苦手だった事が好きかもと感じた時、歳を取ったからだろうかと邪念が浮かびつつもこれを機にひとつの挑戦をしてみたいと思う。
どれだけ続くかはわからないが自分のエッセイを書きたい。
と、言っても読んだエッセイは一冊だけ。
立派なにわかである。
突出した知識があるわけでもないので、題材は自分の人生であったこと。
誤字脱字もひどいだろうし、根本的に何かを間違えるなんてこともあるかもしれない。
でもそこはゆるく、ゆるく。
あの1冊の本に出会えたように、思いもよらない新しい何かを期待して私の25歳がスタートする。