ふくろうでいきたい

ゆるくゆるく。からだもこころも。

恋のはなし。

失恋をした。

半年ほどお付き合いをした恋人と別れることを選んだのだ。

恋とは難しいものである。



少し前くらいから、人の気持ちや自分の気持ちをものすごくよく考えるようになった。

自分が自分らしく生きるためのボーダラインが必要だと感じたからだ。

また、元パートナーと行った同居生活で学んだ違う人間同士が暮らすことの難しさを思い知らされたというのも大きい。


例えば掃除。

要は衛生概念だ。これが一致しないとかなり一緒にいるのは厳しいだろう。


あるいは味覚。

食は生活の基盤になる。味が濃い薄いの好みが違うだけでもずいぶん苦労した。

あと人に作ってもらった食事を一口も食べず醤油をぶちまける人間を私は生涯許さない。


または金銭感覚。

ケチとか浪費癖とか、一緒にいるとうつる。

お金の問題は中々に根が深いだろう。


相手が自分に与える影響や、自分が相手に出来ること。いろんなことを考えながら恋愛と生活を両立させるのはものすごく難しい。

今回パートナーになってくれた相手は尊敬できる人だった。

年上だったことも大きく、職も近かったので話が合い、相手の感性が好きだった。


が、まぁお互い友達の方がいいねとなってしまった。


きっかけは相手と連絡が度々取れなくなることだった。

お互い働いている身なので1週間くらい連絡が取れないのはどうってことはないのだが、それが1ヶ月近く続いたり、急に1日に10件近いメッセージが届いたり自分の予定もうまく立てられない状況に嫌気が差し、話し合いたいと申し出た。

だが、連絡頻度の話し合いというよりも別の話題に替えようとする自分本位の態度が、きっとこれからも変わらなそうだと思ってしまい、その空気が伝わったのか「お友達に戻りたいですか?」と言われてしまった。


別れがあれば出会いがあるので、後悔はない。

が、私はあまりに堪え性がないのだろうか?

いつもいつも私だけうまくいかないような気がして、少しだけ落ち込む。

昔から自分を尊重されていないと思うと、ひどく攻撃的になってしまう。

最近はなるべく感情の起伏が激しくならないように常に相手の気持ちや状況を深く考える様にしているが、本質的に変わるにはあと10年は必要そうだ。



だがふとこんな気持ちになる。

好きな人に、ただ好きと伝えるのにここまで打算的になったのはいつからだ。

自分の気持ちを素直に伝えられなくなったのは?

感情より、自分の利益や損得を優先させるようになったのは?


つまらない大人になってしまった。

激動が欲しいわけでないし、執着を手放し身軽に生きたい。

でもそれでいいのかと子供の私が叫ぶのだ。

手放さずに愛することこそ、価値があるのではないのか。



まぁ、結果的にはそういう事ではないと思う。

今後悔や未練があっても1年後には違う自分がいると思うとわくわくするし、これからどんなご縁があるのか視野を広く持てる。

まだ年齢的にも若いし、結婚を急ぐ現代じゃない。

仕事も充実しているし、友人もいる。

自分の時間が持ててハッピーじゃないか。


と、自分に言い聞かせ今夜も枕を涙で濡らしながら眠りにつくのだ。



新しいご縁を繋げられたら、また恋のはなしをしようと思う。

もし失恋したばかりの人が読んでいたら、どうか1人じゃないと安心してほしい。

そしてクリぼっちをどう謳歌するか最高の計画を立ててほしい。


とりあえず私は、料理をしながらフルハウスをざっとおさらいして、ビール片手にフラーハウスを観ようと、ニヤつく頬を手で押さえ、つまみのレシピを検索している。


側から見て、くだらなかったりつまらなかったとしても最高の過ごし方は自分で作れるし選べる。

明日の自分が少しでも気が楽になるように今日を生きていこう。

ゆるくゆるく。

こころも、からだも。

失って、得たもの。

何事にも執着せずに生きていきたい。

そう考えられるようになったのはつい最近だ。

それまで私は与えられる事が当たり前であると考える、傲慢でつまらない人間だったように思う。



「アダルトチルドレン」をご存知だろうか。

幼少期に親と何かしらの確執がありトラウマを抱えている成人のことを言うらしい。私はこの言葉を最近知り、ネットの知識だけで判断しているが、自分は「これ」に該当すると思う。


小さい頃から親に否定される事がとても多く、学校で表彰されて親に報告しても「だから何?私の子供の頃の方がすごかった。」とよく言われた。

この事に対して「そういうものか」と思ってしまった私はある程度では親に報告しない人間になってしまう。

そんなある日、同じ月に全校生徒の前で絵と水泳大会の成績で2度賞状を受け取るシーンがあり、それを見ていた後輩(親同士の職場が同じ)が親に話したらしく、親から親へ話が行き私の母の耳に届いた。

直接報告していなかった母は寝耳に水の状態が気に入らなかったらしく、私が家に帰った途端怒鳴り散らした。賞状を貰う事は大した事ではないと刷り込まれていた私には理解ができずただ俯くことしかできなかった。


母は躾の延長で手が出ることも度々あったので常に顔色を伺わねばならず、必然的に家事を手伝ったり親の近くにいる事が多かった。

自分から関わる必要はなかったように思えるが、たまに言われる「お前だけが家のことをよく手伝ってくれる」という言葉に快感を得て異常に執着していたのだ。

私はそれを言われるとどうしようもなく必要とされる、自分には価値がある、と思い込んでしまっていたのである。


中学で学びたいものが確立していた私は、小中の友人が1人もいない高校を選んだ。家から通うにはそこしかなかったのだ。

0からの友人作りや、アルバイト、単位制の高校の為先輩や後輩と関わる場が多く持てるようになり、驚くほど人に対して知見が広がったのだがそこで初めて自分がいかに惨めか思い知らされた。

普通の親子は幼い子供が賞状を貰えば親は手放しで喜び、躾で暴力を振るうことはなく、顔色を窺わずとも楽しく日々生活しているのだ。

もちろんそんな家族ばかりでない事にも気づいた。でも、私は後者に生まれた人間だということを思い知らされたのである。


どうして自分ばかり。と塞ぎ込んでつまらない意地を張るようになったのはこの頃。

母を無視して半年ほど会話がなかった事もある。そんな私を可愛く思うわけなどなく親子の仲は悪くなっていった。

そんな私が家にいて幸せを感じる事ができるのは2人の姉と過ごす時だけだった。


だが私が19歳の時事件が起こる。

姉2人が喧嘩したのだ。女同士の喧嘩といえば可愛らしいものを想像するかもしれないが、次女が長女に対して一方的に暴力を振るい顔の形が変わり血尿が出るまで殴り続けたのだ。


私は止めに入ったが、体の震えが止まらず殴り続けようとする次女をうまくコントロールすることは出来なかった。


長女は典型的な優等生で成績も良く仕事も若くから地位を確立させるなど、すごい人だった。対して次女は昔から自由人で当時フリーターという事もあり家にいる事が多かった。

2人の間に何があったのか今でもわからないが、大きな溝ができたのは確かだった。


両親は長女が悪いと一方的に決めつけ、次女が納得するまで謝り続けろと怒り散らした。

かなり精神的に不安定だった次女を安心させたかったのだろう。

それに、事情があり幼少期から度々離れて暮らしていた長女をあまり好いていなかったように私はよく感じていた。

そんな状況に納得のいかなかった私と長女は両親と次女に反発し、家は地獄のような状態になった。


月日は流れ長女は結婚し実家を出て行き、私も社会人になって家を出た。

母親に1人暮らしはやめてほしいと言われていたので当時のパートナーに一緒に住んでもらい私たちは自立した。


だが私はさらに色々な壁にぶち当たる。お互いの精神が未熟な状態で始めてしまった同居生活は幸せであったはずなのに相手に依存し、執着するものに形を変えてしまう。

共依存に陥り、これ以上この人といても幸せにはならないだろうなというラインを超えてしまった。


依存とは求め続けてしまうのが厄介で、しかも欲しいものの為に何でも差し出してしまう。

何かきっかけがなければ、自分がその状態である事になかなか気づかない。


家族と離れ、仕事も充実し、自分に自信が持てるようになった時、私はこれだけは失いたくないと思っていたものを手放す事にしたのだ。



1人になってよく考える。

自分とはどんな人間か。

人に求めてばかりの卑しい人間なのだろうか。


アダルトチルドレンを知った事が自分と向き合うきっかけになったように思う。

今まで当たり前のように色んな人から貰ってきたものにどれほどの価値があったか。

両親とは連絡をとっているし、長女とも仲良くやっている。が、次女とは絶縁状態だ。正月も実家へ帰れない。

ラブソングの歌詞でよく失って初めて気づくと書かれているがその通りだ。

肌寒い冬の夜、3人並んで実家のリビングで映画を見たあの幸せをもう1度噛み締めることはできない。


でも、私には私がいる。

自分の機嫌は自分で取れるし、体を労る事も、褒美を与える事もできる。

誰も要らないという訳ではなくて、誰かいなければいけないという執着が要らないのだ。

物も必要最低限あればいいし、人との縁も無理して留めることはない。

自分で考えて行動するのがどれほど楽しいか、余裕と自信を得た今の私を前の自分よりちょっとだけ好きだ。

たくさんの困難を乗り越えて、くだらない境地に上り詰めた私はスーパーで買ったみかんの皮を剥いてひとつずつバラさず丸ごと頬張るという贅沢を味わいながら、これからの人生は不苦労で生きたいと目を細め、溢れる果汁にちょっとむせた。

蛇の目。

人から向けられる感情に、敏感でなくてはならない。

そう気付かされたのは高校2年の秋頃。

ちょっぴりほろ苦い思い出である。



当時は漫画研究部に所属していた。

他にも農業研究部や剣道部を兼任していたが、メインは漫研で部長も務めながら30人ほどの部員を束ねていた。

その時に使っていた部室は同じ文化部という事で演劇部と兼用。

お互い干渉せず、必要なものだけ部室に置き活動はまた別の教室を使用して日々を過ごしていた。


演劇部に所属しているメンバーに同学年の友人が数名いたため、稀に部活中にも話をする事があった。

特に仲良くしていた田中(仮名)という男子がいて、そいつとはよくお互い好きなアニメや洋楽の話などをしていた。

そんな田中に文化祭で、割とガチめな女装をしたいと相談をされる。

当時私はコスプレというアニメや漫画のキャラクターに扮装する活動をしていたため、若干のノウハウがあり快く快諾。


ここでひとつ疑問がある。

高校の演劇部とは限られた予算の中で、衣装や照明、演出まで自分達でコーディネートする事が多い。もちろんメイクもだ。

さらに当時の演劇部の部長は個性的なメイクで原宿の雑誌に載った事もあったり、結構な有名人だった。

なぜ彼女に頼まないのか?

と聞いてみたところ、「彼女のメイクは個性的過ぎる。自分はもっとナチュラルでガチな女になりたい」とのこと。

おもしろい。そういうの嫌いじゃない。

田中の他にも文化祭の当日数名の友人に化粧を施す約束をしていた事もあり、ナチュラル系のメイクなら任せろと一緒にカラコンやウィッグを選んだ。


文化祭当日、朝早くからから2人で部室に集まり準備を始めた。

田中は元々顔立ちが整っており、所謂イケメンというやつだった。

透き通る様な白い肌に、切長の一重。まつ毛は長く、鼻筋が通っており薄い唇は上品な薄桃色。

その特性を生かすため、目元と口元のみ強調するメイクを施しウィッグを被せる。正直うっとりするほど美しく、175㎝ほどの身長がある彼はモデルの様な出立ちだった。

女子の制服を着せ、そのまま互いのクラスのHRへ向かう。


その後は体育館にて文化祭の開会式があり、部活や友人同士固まって良い事になっていたので各々自由に過ごしていたら、演劇部で固まっていた田中に声をかけられる。

HRでも好評だった事などを告げられ、こちらとしても嬉しくなり、笑顔で話を聞きながら田中のメイクや髪型を直していたら何か視線を感じた。

また、ここであることに気づく。

その場にいる私と田中以外笑ってないのだ。

なんだろうと後ろを振り返ると、演劇部の部長がものすごい形相でこちらを睨んでいたのである。

その日の彼女のメイクはいつも以上に力が入っており、キャッツアイを意識した囲み目メイクで目元にトランプのマークが描かれている。

ぱっつん前髪の隙間から向けられる眼光は、威嚇する蛇のようで、あまりの気迫にビビり倒してしまい、漫研のみんなを待たせているからとすぐにその場を後にした。


人にそんな顔を向けられたのは初めてだったので、漫研のメンバーにとても恐ろしい思いをしたと話してみると、どうやら演劇部の部長は田中に片想いをしているらしかった。

漫研で知らないのは私だけというくらい有名で、みんなが口を揃えて気付いていると思っていたと言われた。さらに以前から私と田中の距離が近いと周囲に漏らしていたと聞かされ、なんて事をしてしまったんだと歯を食いしばる。

人の恋路を邪魔するつもりなんて毛頭ないのに、敵認定されてしまった。


文化祭は大いに楽しんだが、それ以来なんだか田中との仲は気まずくなり、どんどん疎遠になってしまう。

そして卒業間近になり、漫研のメンバーと部室の掃除をしながら話していたところ、そういえば結局あの2人はカップルになったのか?と聞いてみる。

みんなが言うには演劇部の部長がアタックし、玉砕したらしい。

なんで知っているんだ...

そして、玉砕してしまったのか...



恋というものは、本人達にも大きなイベントだが結構周りを巻き込んでいる事が多い。

高校生ともなると周囲に与える影響も大きいだろう。

私がそういった空気を察知して、演劇部の部長から与えられるプレッシャーにもっと早く気付いていれば、今も田中とは趣味を共有する友人であったかもしれない。

当時の環境の中敵意や好意、人から向けられる感情ひとつひとつにもっと敏感であればよかったと、過ぎた青春の1ページを苦虫を噛み潰した気持ちでやりすごすのであった。