ふくろうでいきたい

ゆるくゆるく。からだもこころも。

毎日を何%で過ごすか。

完璧主義者である。

社会に出てから、人に言われ気付いた自分の長所であり短所だ。



以前会社の先輩に、

「君は頼りになるけど、そんなにいつも気を張っていて疲れないのか。」

と言われたことがある。

疲れる。めちゃくちゃ疲れる。

だが、それくらい気を張って周りを見ていないと自分がダメな人間に思えてくるのだ。

実際何かうまくいかなかったり、1つでも自分の考えていなかった展開になると、悶々と考え込んでしまう。

まぁそれも今の自分に必要なことなのだろうと眠れぬ夜を過ごすこともあった。


しかし最近、忙しすぎる。

波のある仕事なので、忙しい時には休日出勤もあるし、みんな毎日終電近くまで働いている。

いつも以上に頑張らなくてはいけないと、ガチガチになっていたら先輩にご飯に誘われた。

注文を終え、最近忙しいですねなどと雑談を交わしていると

「君は完璧主義者なんだね。」

とストレートに豪速球をぶち込まれた。


褒め言葉だろうか?

それとも相手に対して失礼な振る舞いをしてしまったのだろうか?

残してきた仕事のことも頭から離れず返答が2、3秒遅れ顔が引き攣ると、相手は穏やかに笑って続ける。

「私は40%程度で日々を過ごせればいいと思っているから、エネルギッシュな谷さんを見ているとすごいと思う。」

...40%?目の前に仕事があるとしたら、それに100%力を注ぐのではないのか?

ぽろり。

と、目から鱗が落ちる。

先輩の話を要約すると、仕事、私生活、そして自分。そのバランスを保つために肩の力を抜く事が必要であり、側から見ていて私は頑張りすぎだというのだ。100%の日のために普段は温存することも覚えなさいと。


そんな事を言われたのは初めてで、何かを頑張ると常に次を求められてきた私は、足元から急にどっと疲れが襲ってきたように感じた。

そうか、そんな風に見られてしまっていたのか。空回りしていた様に感じ、羞恥で耳が染まる。

どうにか取り繕うとしてもぐずぐずに疲れた脳みそでは綺麗な言葉が見つからず、とにかく先ほどオーダーしたパスタを胃に叩き込む。

ありがたいけど考えさせられる、嬉しいけど恥ずかしい食事会は先輩の奢りで解散となった。



私は忙しいと、体が動く最低限の食事と睡眠、会社に着て行く服のことだけ考え、あとは全て仕事に費やす。休日は疲れで布団から出れない日もある。

でも人間、そうではないのだ。

休むことや力を抜くこと、頑張り過ぎずにコントロールし、休日を楽しむ人生に価値がある。と先輩は言ったのだ。


先日ようやく忙しさの波を抜け、気の置けない友人とお茶をする機会がありその話をすると、確かに谷は完璧主義なところがあるかもねと言われる。

じゃあこれからは1日80%くらいを目指して生きていこうかなと笑いながら告げると、

「俺からすると、80%って決める事自体意味わかんないけどね」

と真顔で言われ、こいつのこういうハッキリとした物言いが好きなんだよなぁと思いながら、少し冷めた紅茶飲み込んだ。

古傷のはなし。

大きなケガをしたり、入院したりしたことはあるだろうか?

私は幼い頃から活発で体が資本な生き方をしていた為入院も骨折もした事がない。



だが1度だけ、1週間ほど松葉杖を使って生活していた事がある。


あれは小学校6年生の頃だったろうか。

私の住んでいる市には、市の体育大会というものが存在し指定された学校の生徒たちは学年全員で参加するものの、全員でやるのは大縄跳びやソーラン節。その他は代表者数名の競技で順位を決めるというシビアなものであった。


競技の中でもそれなりに盛り上がる、リレーの選手を決める為、先生から数人に声がかかった。その中に私も選ばれ、高揚感に身を包まれながらメンバーを決める条件を聞く。ルールはいたってシンプル。

100m走でタイムの早かった4名がそのままリレーの選手になるというものだった。

先生から声がかかったのは10数人。

走る事はあまり好きでなかったが、その数人に選ばれた事と初めての体育大会に、持てる全てを出し切ろうとわくわくしながら挑む。

100mを走りきり、ゴール地点で先生にタイムを聞こうと振り返った瞬間、右足首に違和感。

ピリっと感じる痛みに眉を顰めながら先生にタイムを聞くも、全員走り切ってから発表するとのこと。

疲れと右足に痛みを抱いていた私は友人と座って終わるのを待った。

全員が走り終わり先生からメンバーが発表され、私は学年3位で無事リレーのメンバー入りを果たしたのである。

友人達に背中を叩かれ檄をいれられる。

私も笑顔で対応し、声を掛け合ったがその叩かれる衝撃にも何か違和感がある。

そう、右足に地鳴りのように響くのだ。

別に足を狙って叩かれている訳ではない。みんな座っている私の背中や肩を叩いてくれる。

なのになぜそこに違和感を感じるのかいまいち理解できず、立ち上がろうとした。


が、立てない。

立ち上がろうと力を入れるが、激痛が走り平衡感覚を失う。

ひどい目眩だ。

周りの声も遠くなり脂汗がどっと噴き出る。


友人に保健室による事を伝え、1人で片足で跳ねながら向かおうとするが、地獄のケンケンタイムである。

ケンケンの衝撃の度に感じる激痛に汗が頬をつたい、背中と胸に体操着が張り付く。荒い息を整えることもできず乱暴に保健室のドアを叩くと、細身の美人な先生が柔らかい笑みを向けて天女のように迎え入れてくれる。

その姿にホッとしたのも束の間、即親を呼び出され近くの整骨院へ運ばれた。


病院の診察では走り切った後、その勢いを殺さないまま右足を軸に回転し振り返ったことで、ものすごい圧力が1点に集中し内出血を起こしているとのことだった。

全治約2ヶ月。

市の体育大会が終わる頃だった。

なんともアホである。



後日先生からリレーのメンバーは改めて他の人になること、私は松葉杖の生活になるので大会には不参加という事が伝えられる。

友人達は驚いたがそれ以上に笑いが堪えられず、暫くネタ扱いされた。

要約すると、走って、回って、松葉杖。

多感な小学生だ。面白くないワケがない。


私はというと、松葉杖が意外に邪魔だったので

1週間ほどで持ち歩かなくなり、馬鹿にしつつも手を貸してくれる友人のおかげで、最終的には全員参加の種目には出場する事ができた。



幸運なことに、それ以降大きな怪我もなく現在に至っている。

死ぬまでに1度くらい骨を折るのだろうか、などと考えながら冷えて強ばった右足首をさするとあの日の痛みを思い出し、身震いするのだった。

王国を築く。

ひとり暮らしをしている。

実家との折り合いが悪く、20歳で専門学校を卒業後、21歳の時に家をでた。



当時はパートナーがいたため一緒に住んでいたが、約1年前にその相手との関係も終止符を打ち今はかなり自由気ままに生活している。

暮らしているのは駅からは遠いが、閑静な住宅街の中にあるメゾネットタイプの家だ。

外から見ると平家のアパートだが、中に入ると1階と2階に分かれており、1階にはキッチンや水場、2階には小さいがバルコニーもついている。


実家には姉が2人いたため1人部屋などなく、家具も親が選んだものしか使えなかった。

真ん中の姉と同じ部屋で与えられる空間は3畳ほど。唯一気に入っていた上にベットが付随しているタイプの広い机は、絵を描く私にとって天国で、時間を忘れて手を真っ黒にしながら創作に励んでいた。

が、それも19歳の時処分されてしまう。

まあ実家というのは両親の持ち物であり、自分の意見が通らないのは当たり前かと早々に諦めいつか自分の為だけの空間を作り上げる事を夢に見ていた。

両親には今は感謝の意しかない。衣食住を保証し、学びたい事を学ばせてくれた。

だが思春期だった当時、閉塞された空間で与えられるものには不満ばかりが募っていたのである。適度な距離を持てたこれから少しずつ恩返しをしていきたい。


実家を出た際もひとりでなかったので、全てを自分色に染める事はできず歯痒い思いをしながらも、お金に余裕がある訳でもなく怠惰に日々を過ごしていた。

そこからついにひとり暮らしをするという人生最大のイベントが起こる訳である。

様々な手続きや、家具選び、壁に飾る装飾や観葉植物。自分にとってはまさに血湧き肉躍る日々だった。



そして現在。私は、私の為だけに作った空間でふんぞりかえり日々を過ごしている。

5年前の私にこの話をしたら驚くだろう。

お金も時間も体力も必要だったが実現させるということは存外簡単にできるのだ。

空間は整った。

とぼんやり考えながら、ビールを片手に生のハーブ入りのソーセージを燻製して、少し煙臭くなったカーテンにファブリーズを吹きかけながら細く微笑む。

これからは少しずつ中身を整えていこう。

自分らしく生きるとはなにか。

ひとまず、この王国の主人は私だ。